自転車で行く国道123号旧道探索
今回は茨城県の水戸市から栃木県の宇都宮市に至る国道123号の旧道を自転車で走ることにした。とりあえず今回は道の駅かつらから茂木までの区間。スタート地点の道の駅かつらは廃線となった茨城交通茨城線の終点御前山駅付近にある。
昭和4年の地図を元にルートを選定した。今回、県境付近のルートが変わっていることに着目した。旧道は現在の地図から消滅している区間もある。
まずは那珂川大橋を渡る。昭和24年製のかなり古い橋。今でも現役で使用されている。
しばらくは現道を進む。
所々に旧道の分岐点がある。
現道は長倉の集落内は素通り。旧道は右側に進む。
野田の集落でも旧道に入る。
現道を渡り、那珂川沿いに下りる。
昭和4年の渡し舟乗り場付近。
現在渡し舟乗り場付近は鮎の塩焼き屋になっている。
いったん、現道に戻り新那珂川橋を渡る。平成4年開通。
橋を渡ったところで旧道分岐点がある。オートキャンプ場の連絡道路として利用されているようだ。
残念ながら舟乗り場付近はキャンプ場になっており、入れなかった。仕方がないので引き返す。
渡し舟?らしきものの残骸を発見。
現道まで戻り、今度は新那珂川橋完成前まで使われていた旧道も探索(以後2代目旧道とする)。下の地図が昭和4年のもので、この8年後に那珂川橋(現存しない)が開通して2代目旧道になった。2代目旧道は旧那珂川橋が開通した昭和12年から新那珂川橋開通した平成4年までの55年間使用されてきた。今はなき那珂川橋は写真が無くどんな橋だったのか分からない謎の多い橋だ。
既に国道から降格されているが、おにぎりがポツンと立っていた。
旧那珂川橋はすでに跡形もなくなっていた。左に見えるのは現道の新那珂川橋。
2代目旧道沿いに廃墟となった旅館を発見。新道ができると必ず廃業に追い込まれる店が出てくるのは仕方ないことなのか?
現道に戻りしばらく進むと旧道との分岐点。
旧道は茨城県道212号となっている。
すぐに分岐点になる。
現道をクロスする。
途中に石碑を発見。内容がわからないが、距離を示しているのだろうか?石碑があるということは、ここが旧道で間違いないということか。
ここから先は地図から消えた区間。今日のメインイベントだ。現在の地図を見ると右手の道しか書かれておらず、直進の道は地図上にはない。
実際には下の写真のように直進する道がある。これが地図から消えた旧道に違いない。
道を直進すると間もなく山道になる。そしてしばらく進むとダートになる。
分岐がある。すでにこの道は地図からは消えているので、勘で右側を選択。
また分岐が・・勘で右に進んだが大きな間違いだった。しばらく山の中をさまよう羽目に。気温は4度。遭難を覚悟。正しくは左に進む。
よくわからないが、石畳のようなものがあった。
あとは下っていくだけ。非常に寒い。氷が張っている。
現道が見えてきた。
分岐点はこんな感じ。
しばらく現道を進むと石碑が。
湯殿山の石碑が。湯殿山といえば山形の霊山であるが、こんなとこまで信仰が。山岳信仰は日本特有の文化ではないだろうか。
しばらく走るとまた石碑群が。
馬門稲神社。江戸中期建造。
神社にも石碑が。大正10年。
現道をしばらく進んだ後、旧道に入る。
茂木に入るには峠を越える。なぜわざわざこんなルートにしたのか?もしかしたら間違えているかもしれない。
峠を下ると茂木町内。
茂木藩陣屋跡。
茂木町内にある八雲神社。
茂木のメインストリート。寂れている。人がいない。
茂木駅に到着。今日はここまで。
今回は茨城県の水戸市から栃木県の宇都宮市に至る国道123号の旧道を自転車で走ることにした。とりあえず今回は道の駅かつらから茂木までの区間。スタート地点の道の駅かつらは廃線となった茨城交通茨城線の終点御前山駅付近にある。
昭和4年の地図を元にルートを選定した。今回、県境付近のルートが変わっていることに着目した。旧道は現在の地図から消滅している区間もある。
まずは那珂川大橋を渡る。昭和24年製のかなり古い橋。今でも現役で使用されている。
しばらくは現道を進む。
所々に旧道の分岐点がある。
現道は長倉の集落内は素通り。旧道は右側に進む。
野田の集落でも旧道に入る。
現道を渡り、那珂川沿いに下りる。
昭和4年の渡し舟乗り場付近。
現在渡し舟乗り場付近は鮎の塩焼き屋になっている。
いったん、現道に戻り新那珂川橋を渡る。平成4年開通。
橋を渡ったところで旧道分岐点がある。オートキャンプ場の連絡道路として利用されているようだ。
残念ながら舟乗り場付近はキャンプ場になっており、入れなかった。仕方がないので引き返す。
渡し舟?らしきものの残骸を発見。
現道まで戻り、今度は新那珂川橋完成前まで使われていた旧道も探索(以後2代目旧道とする)。下の地図が昭和4年のもので、この8年後に那珂川橋(現存しない)が開通して2代目旧道になった。2代目旧道は旧那珂川橋が開通した昭和12年から新那珂川橋開通した平成4年までの55年間使用されてきた。今はなき那珂川橋は写真が無くどんな橋だったのか分からない謎の多い橋だ。
既に国道から降格されているが、おにぎりがポツンと立っていた。
旧那珂川橋はすでに跡形もなくなっていた。左に見えるのは現道の新那珂川橋。
2代目旧道沿いに廃墟となった旅館を発見。新道ができると必ず廃業に追い込まれる店が出てくるのは仕方ないことなのか?
現道に戻りしばらく進むと旧道との分岐点。
旧道は茨城県道212号となっている。
すぐに分岐点になる。
現道をクロスする。
途中に石碑を発見。内容がわからないが、距離を示しているのだろうか?石碑があるということは、ここが旧道で間違いないということか。
ここから先は地図から消えた区間。今日のメインイベントだ。現在の地図を見ると右手の道しか書かれておらず、直進の道は地図上にはない。
実際には下の写真のように直進する道がある。これが地図から消えた旧道に違いない。
道を直進すると間もなく山道になる。そしてしばらく進むとダートになる。
分岐がある。すでにこの道は地図からは消えているので、勘で右側を選択。
また分岐が・・勘で右に進んだが大きな間違いだった。しばらく山の中をさまよう羽目に。気温は4度。遭難を覚悟。正しくは左に進む。
よくわからないが、石畳のようなものがあった。
あとは下っていくだけ。非常に寒い。氷が張っている。
現道が見えてきた。
分岐点はこんな感じ。
しばらく現道を進むと石碑が。
湯殿山の石碑が。湯殿山といえば山形の霊山であるが、こんなとこまで信仰が。山岳信仰は日本特有の文化ではないだろうか。
しばらく走るとまた石碑群が。
馬門稲神社。江戸中期建造。
神社にも石碑が。大正10年。
現道をしばらく進んだ後、旧道に入る。
茂木に入るには峠を越える。なぜわざわざこんなルートにしたのか?もしかしたら間違えているかもしれない。
峠を下ると茂木町内。
茂木藩陣屋跡。
茂木町内にある八雲神社。
茂木のメインストリート。寂れている。人がいない。
茂木駅に到着。今日はここまで。
コメント
コメント一覧 (2)